「鈴木先生」から学ぶリーダーシップ。部下・後輩ができたときに大事なマインドとは

コラム

こんにちは!りゅうです。

 

映画化もしたのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、

「鈴木先生」という漫画原作のドラマがあります。

概要としては主人公である教師鈴木の独自の視点から教育を実施していき、その中で起きる障壁や問題について考えていくという教師ものです。

 

いわゆる”金八先生”や”ごくせん”などのように、元々の問題児や問題を起こした生徒への対応と解決が主軸というよりは、先生の教育実験に焦点を当てた作品です。

 

そんな鈴木先生のセリフの中に、こんな言葉があります。

 

「今の学校教育は 我々が普段思っている以上に―― 手のかからない子供の 心の摩耗の上に支えられている」

 

これは教師の世界において、目立つ生徒、たとえば不良な生徒であったり、よく表に出てくる発言の多い生徒などにどうしても時間を割いてしまうという背景があります。

 

実際、現代の教師はやることがとても多く、時間がない分そうせざるを得ない状況にもなりやすいと聞きます。

 

しかしながら鈴木先生は、上記したような手のかかる生徒より、いわゆる普通の生徒の方が、心に深い闇を抱えていることは往々にしてあるという考えです。

 

要は「普通の子」ってなーに?という話で、普通なんてないということですよね。

人間みんなどこかしら闇はあって、たまには悪いことだってしたくて、たとえ優秀と評されたとしてもそのプレッシャーに葛藤したり。

 

これは様々なコミュニティおいても、それこそ仕事においても同じ事がいえると思うんですね。

 

自分がリーダー的な立場になった場合、おそらく手のかかる人が目立ちます。もちろんそういった方の世話もしなければなりません。

 

ただその時に、一方で手のかからないタイプの人に「君は優秀だからね」という接し方をしてしまうと、その人は「優秀と思われてるんだから、悩みなんて見せてはいけない、ダメなとこ見せてはいけない」となってしまって、殻に閉じこもるかもしれません。

 

不良が真面目な生徒にコンプレックスを持つように、真面目な生徒もまた、不良へのコンプレックス(憧れのようなもの)を抱えているんです。

 

最悪、一種の「諦めの境地」に達してしまった”手のかからない人”は、我々が放置しているうちに闇が蓄積され、いざというときにはもう手遅れになってる ということもあるかもしれません。

 

特に仕事となると各々の立場で責任感を持ちながら働く中で、各々我慢していることは必ずあります。優秀に見えても、いつも笑顔で爽やかでも、隠れたストレスに苛まれている場合は当たり前にあると思います。

 

リーダー的な立場の人達、またこれからそうなる人たちは、やはり一人ひとりのコミュニケーションが大事だということを改めて思います。

 

 

そして我々もまた、上の立場の人に対して、妙な期待に応えようと、いい子を演じなきゃと思わなくてもいいんです。

意外と自我って出して問題ないし、弱音も吐いたほうがいいです。その方が自然なコミュニケーションが取れることもあります。なんとかなるので大丈夫です。

(もちろん失礼やわがままが過ぎると問題はありますが…。)

 

現代社会、上があったり下があったり、それぞれの立場で苦労は尽きませんが、みんなで気楽に乗り越えていきたいものです。

 

鈴木先生は、目立つ人目立たない人を区別することなく、全ての生徒を同じ質量・気持ちで見て、じっくり分析しながらチーム(クラス)全体の流れを意識しました。

大変なことですが、チーム作りにおいてその本質から逃げてはいけないのでしょう。

 

では、また!!

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